ダイマスの歴史
会長・植木榮に聞く「古き良き浅草と現代を繋ぐ、大桝」

ー榮さんがお生まれになったのは昭和17年ということですが、太平洋戦争の真っ只中ですね。

初代の要造、つまり私の父が、丁稚奉公していた乾物屋から支店を引き継いだとき、世の中には世界恐慌の嵐が吹き荒れていました。まわりの店がバタバタと潰れていったなかで、「不景気に強い食品業界で生きよう」と相当な覚悟を決めて店を始めたようです。
太平洋戦争の最中、父が兵隊に取られました。その間に東京大空襲で店も家も全部焼かれて、ゼロに戻ってしまった。でもすぐに有り金をはたいて浅草に土地を買い、出直しを決めたんです。昭和20年、敗戦の年のことです。その時私は3歳でした。本当に何もない浅草をよく覚えていますよ。私はいわば「終戦直後の浅草の生き証人」ですね。

ー戦後すぐの浅草とは、どんな所だったんですか?

私達の家族がほったて小屋を立てて住み始めた時には、周りに家が一軒もありませんでした。当時、平屋の家の床に寝転がって外を見ると、南の窓から浅草の松屋が見える。西の窓を見ると、国立西洋美術館と富士山が見えました。そのくらい、何もなかったんです。生活も大変貧しかった。
翌年の昭和21年、その場所に乾物屋の「大桝商店」を開店しました。でも人っこひとりいないところに客がくるはずがない。そして売る商品もないんですね。だから安くてかさばる麩ばかり並べて店の体を見せていました。
後年浅草に人が増えるにしたがって着実に経営が上向いていったんですが、最初はそんな調子で商売にならないので、赤い水、青い水、黄色い水を冷やして売っていました。そんなことを半年ぐらいやりましたかね。同じような店が何軒もあり、大した利益にもならず、知り合った人と上野アメ横で雑穀問屋を始めたりもしました。戦後の闇市の時代です。

ーいよいよ復興が始まる頃の話ですね。榮さんが覚えている浅草の風景で、今でも印象深いものはありますか?

隅田川がまだ透明で、底までみえていたんですよ。そこで釣りをしたり、飛び込んで泳いだり、毎日毎日遊んでいました。両親に買ってもらった四手網で魚を獲っていると、おたまじゃくし、ふな、はぜ、くちぼそなんかが入ってくるのが目で見えるんですよ。でも川沿いに工場ができたら、あっという間に汚くなりました。
隅田川の川べりはお金持ちの別荘地で、一件300坪ぐらいの豪邸が並んで、川から階段で家まで上がれるようになっていて、夜になると屋形船がついて芸者衆を連れて家へ上がっていくのが見えました。今では全く面影がないですが、当時はお屋敷街だったんですよ。

ー浅草には今も芸者さんは残っていますか?

20人から30人くらいですか。今でも芸者さんを呼んで宴会をする人はいますよ。浅草の心意気なんでしょうね。
街というのは花街を中心に出来上がっていくもので、この街も浅草寺から吉原への流れで人がどんどん集まり、今では考えられないくらいの大繁華街だったんです。ちょうど夜中の12時から3時ぐらいが一番外が賑わうときで、下駄の音や人の嬌声がうるさかったなあ。昼は人が多すぎてぶつからずに歩いていけないくらいだった。特に六区の映画館はすごい賑わいでした。

ーそんななか昭和33年に2店舗目を開店したんですね。これが現在の「フードマーケット大桝」だそうですが、浅草の賑わいはいつ頃まで続いたのでしょうか。

昭和40年頃までだったでしょうか。その後、新宿や渋谷など、東京の西側を中心とした浅草以外の街に、人が流れていくようになった。
そんななか大桝を引き継いだ私に架された課題は重く大きいものでしたが、怖い物なしでトライしていきました。若かったんですね。

ー東京を代表する観光地となった浅草で、大桝はこれからどういう未来を見ているか、聞かせてください。

食品の安全性については、販売者としての責任は免れないものと思います。一週間放置してもカビも生えないパン。大量の農薬散布で虫も寄りつかない青果物。添加物の塊と言ってもよいハム・ソーセージ。合成着色料などの添加物不使用のものを探すのが困難な菓子。このような商品を店頭より排除すべく、お客様を巻き込んだ啓蒙活動を地道に進めています。
「人の役に立つ商売をする」。初代から受け継がれてきた大桝の心は、「食の安全を守る」という形で受け継がれています。これが大桝の社会的存在意義であるという姿勢は、三代目が受け継ぎ、決して変わらない大桝の軸となっています。
今大桝は、スーパーと酒屋だけでなく、その強みを生かした新たな形の飲食店を展開しています。これからも地域の皆様に愛される店であり続けられるよう、努力していきます。

沿革
昭和5年6月初代植木要造、江東区大島にて乾物屋開店
昭和21年6月台東区浅草6丁目に乾物屋開店
昭和23年12月株式会社大桝商店に改組
昭和33年台東区浅草4丁目に二店舗目乾物屋開店
昭和45年8月代表取締役植木要造死去のため植木榮代表取締役就任
平成4年4月株式会社ダイマスに商号変更
平成7年9月酒の大桝開店
平成17年7月酒の大桝雷門店開店
平成19年1月植木榮、代表取締役会長に就任
植木裕嗣、代表取締役社長に就任
平成20年6月sake no daimasu wine-kan 開店
平成21年8月浅草ビアホール D's Diner 開店
平成23年6月浅草カフェ La Grande Calice 開店
平成24年5月酒の大桝 kanda wine-kan 開店